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雑記帳的な(仮)

幸せになる方法

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最近よく眠れない。

土曜の朝はゆっくり起きてまったり過ごすために

金曜の夜は遅くまで動画を見て寝坊に備えていた。

結局今朝も7時には目覚めてしまったので

気づけば変なことを考えてる。

 

「幸せ」って何だろう。

 

誰でも気軽に口にするこのコトバは

人々の心を拘束してる気がする。

たぶん、人類全体なのか日本人全体なのかの共通のイメージがあって

それを「幸せ」と定義付けているのかもしれない。

 

よく考えてみればわかるものだけど、

人によって幸せの定義や感じ方が違うはずだ。

共通(?)のイメージは頭から捨てて、

自分の幸せがどういうものなのかを見つけることが

幸せになれる唯一の方法だと思う。

 

私の幸せはたくさんのお金じゃないことがわかった。

真面目すぎて何でもきちっとしないと気がすまなくて

他人にも同じ動きを求めていては

自分が苦しいことに気づいた。

 

心とアタマを解放し、

土曜の朝にまったりできることが今は大事。

 

今日はのんびりとキッチンのDIYに集中しよう。

 

 

 

これからの生きかたを考える。

はじめてブログに挑戦することにしました。

書き出すのに何日も考え込んでしまうほど私の性格は慎重派なのだと再認識させられ、軽く凹んでおります。。。

はてなのアドバイスに素直に従って、まずは自分自身について書いてみます。

 

わたしのベース

沖縄で生まれ育ちました。

中学生の頃は勉強ができないだけでなく他人にも興味が持てず、45分の休み時間は教室で一人でボーっと過ごしているような人間でした。

中学3年生の時、担任から志望校を聞かれたので「第一志望が家政科、第二志望が普通科です」と答えたら波平のごとく怒鳴られた記憶があります。

ば っ か も ー ん !  って。

 

私なりに調べたら、家政科は週10時間も家庭科関連の授業なので勉強嫌いにはもってこいだったのです。勉強ができなくても高校には行かなきゃならないので最適なチョイスをしたと思ったのですが大人には理解できなかったようです。

 

その後家政科に進学しましたが、まわりはほとんどヤンキーばかり。教室やトイレはタバコ臭く、今思えばディスコ(まだそう呼んでました)にいる状態でした。

 

そっち系に加わるのはできないので、ちょっと勉強のできる子と行動していると自然と勤勉家に。環境ってすごいですね。ついには家政科で1位、2位を争う(とはいえ授業の内容は中学レベルですが)ように。

 

下の上ですがね、下の上。

 

その甲斐あって某大学の推薦枠に滑り込み、順調に大学進学を成し遂げました。

 大学生活はほとんど記憶にありません。

覚えているのは毎日のように飲み会に参加し、スタート直後にいさぎよく記憶をなくしていたことぐらいです。 

 

先日、12年勤めた会社を辞めました

おおむかし、大手外資系保険会社の契約社員として何不自由なく(給料は安かったですが)暮らしていました。沖縄では珍しくボーナスや昇給もあり、年に連続5日のリフレッシュ休暇もあるような素敵な暮らしです。

 

この安定した暮らしが物足りなく感じてしまい、小さなIT系ベンチャー企業にフラーっと入社してから12年が経ちました。チャーミングな社長(小さいおじさん)が率いる小さな組織で忙しくも自由に仕事をさせてもらいましたが、会社が買収され、大きく成長してくると以前の大手保険会社のようにマッタリとした会社生活に戻ってしまいました。

 

2015年、第一子妊娠中にあれこれと将来のことを考える機会に恵まれました。

  • 年金がもらえないかもって言われてるけど、今から対策を考えなきゃ!
  • 私たちの世代って、もしかして死ぬまで働くんじゃない?😲
  • でも死ぬまで会社で働くことは想像できないし・・・😰
  • あ!死ぬまで働ける仕事をすればいいのか😆

 

その頃から遠くない将来、会社を辞める日がくるのは認識していました。

そして現在、ヘルニアで休職中の夫とかわいい息子の生活を守るための大黒柱という責任を背負いながらも「ダラダラ仕事をするぐらいならスーパーでバイトする!」と考えて退職を決めました。

 

 

これからの生きかたを考える

出産を経て職場復帰したとき、子供の体調不良で何日も仕事を休まなければならない状況が続いたことがありました。こういうとき、隙間時間をみつけて自宅で仕事を進めたり、職場にいる人とチャットで議論したり、ネットでTV会議をしながらプロジェクトを進めていました。

 

現場にいなくても仕事できるじゃないか!

 

さまざまなテクノロジーの発達により、自宅でも職場と変わらない環境で仕事ができる世の中になってきています。

 

そして人生80年から100年へ。

(私の祖父母も3/4が100歳超えて生きてきました)

 

100歳まで生きるには様々な課題が出てくると思いますが、自分の人生である以上、自分で責任を持ってコントロールしていくしかないと感じています。

 

いま、わたしが思うのは、

  • 一瞬で過ぎていくかわいい息子の成長を一番近くで楽しみながら
  • 自分の人生もしっかりコントロールしていく

そういうことをこのタイミングでじっくり考えていきたいです。

そして愛しい息子にとって「自分の人生を楽しむお手本」になっていけたらと思っています。

 

「これからの生きかたを考える」ためにこのブログを通してアウトプットしていきたいと思います。

 

 よろしくお願いします( ^ω^ )